NHKスペシャル 「認知症の第一人者が認知症になった」
ネットでもすごく話題になっていましたね。遅れて録画で見ました。
夫婦で一緒に見て、妻も「よかった」と言って涙していました。自分も感銘を受けました。
ここまでカメラが入るのもすごいことだし、認知症になっても先生のお人柄に気品とユーモアがあり、ご家族の会話や雰囲気にも引き継がれているとしみじみとしました。
85歳まで診療をしていた偉大な医師。長谷川スケールは医療機関ですごく普及されている。
そんな輝かしい経歴の持ち主でも認知症になるのだから、認知症はだれにでも訪れるのだなと改めて思わされます。
自分や妻や家族のだれかが認知症になったら――という想像をしながら視聴していました。
認知症になっても、見える世界は変わらない。
日常をていねいに生きる。
人生に大事な姿勢はただそれだけ。
長谷川先生は先輩医師に言われたそうです。
きみの研究は、きみが認知症になって完成する。
認知症になることは、ある意味、救いなのかもしれない。
正気のまま死を迎える。
自分の大事なひとをみんな亡くして、うらしま太郎みたいな気分で、
頭がはっきりしたまま死ぬのはつらいかもしれない。
すべてを忘れて死ぬように、ひとはプログラムされているのかもしれない。
死ぬまでに忘れてしまうにしても、妻や子どもたちと過ごした楽しかった気分だけ、
なにがあったかわからないけど、楽しかったなという気分を残して
自分も生を終わりたい。
そんなことを考えていました。