ステロイド終了

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 嫁さんの難聴は改善傾向で、ステロイド終了。
 明後日再診して問題なければ、完治もしくは経過観察ということになる。
 よかった、よかった。

 嫁さんも飲み会に行ったり、夫婦でスペイン料理を食べに行ったりしてストレス解消に励んだ。ストレス解消に励むと言い方はおかしいけど、体調と気持ちを整えていくのが中年以降の重要な課題だ。自分も体調が優れなかったり気持ちが乗らなかったりすることが以前に比べて増えてきた気がする。人生を楽しんで、長く働くためには心身ともに健康でなければいけない。体力ももちろんだけど、気持ちもすごく大事だ。楽しいことを見つけていこう。

 嫁さんも趣味が欲しいということで、アイロンビーズなるものにハマっている。子供たちの好きなマリオシリーズのものをビーズでちまちま作っている。集中して作業することでストレス発散になるらしい。自分はまったく知らなかったけど、世の中には、このアイロンビーズの作品を好きが高じてメルカリなんかで個人で販売しているみたい。うちの嫁さんはそういうことを目指しているわけではないけど、すごい時代だなあと思いました。

 GetNabi特別編集 家電&デジタルベストヒット2020
 ガジェット系You Tuberがガチで選んだ買って良いモノ
 を読んでいたら、YouTuberのKAZUさんとか出始めの頃少し見ていて、しばらく見てなかったけど、知らない間に超大物になっていてビックリ。
 登録者175万人越え。モンスタークラス。コンテンツも面白いし、しゃべりも凄いものな。
 セゴリータさんも自分が見ていた頃はまだゴリラのお面をかぶっていたと思うけど(たしか。違うかったらすみません)、いつのまにか顔出しでがんがんやってるんだなー。10年ぐらい前から見ていたブロガーのひとやユーチューバーがどんどん大物になっている…もちろん本人の努力がいちばんだけど、時代の流れもあるのでしょうね。

 宮迫さんとかもユーチューバーに転身するぐらいには受け皿になっているというか。
 しかしネットでの叩かれ具合は凄い。これも時代か。自分はべつに好きな芸人というわけではないけど、べつにチャンネル変えるぐらい嫌いでもない。好きでも嫌いでもないし、あまり興味自体がなかったのだけど、yahooで話題にもなるし、通り一遍見てます。コメント欄の荒れ具合にやっぱり時代を感じますね。

 Macbook 14インチの情報が流れてきた。WWDC 2020の前に発表されそうだな。だけど、WWDC は6月だからもう数ヶ月もないのだけど。やっぱりここは他のデバイスと共に6月発表か。今出るならWifi6 には対応して欲しいし、秋には新型 iphone だ。

初恋。

 初恋。

 

 わたしは起きて薬を飲む。この薬を飲まなければ、身体が動かなくなってしまった。

  妻がわたしを心配そうに見ている。

  「体調は?」

  「あまりよくない。もう悪くなるだけのようだ」

 子どもたちは独立して、わたしは彼女と二人で暮らしてる。子どもたちは可愛いが、責任が伴う。独立したことで、やっと肩の荷がおりた。これから妻と二人でのんびり過ごすことを楽しみにしていた矢先、わたしは体調を崩した。最初はちょっとした不調と思っていたのが、坂道を転げ落ちるように一気に悪くなり、動くことが難しくなった。原因は神経と筋肉に影響をあたえる難病。完治は難しく、薬が手放さねなくなった。

 「じきに運動機能が低下して、わたしは話せなくなり、呼吸も出来なくなるだろう」

 「ええ」

 「人工呼吸器は嫌なんだ。そのときは静かに逝きたい」

 「わかったわ」

 「わたしだけ、いつのまにか歳を取ってしまったよ」

 「そうね」

 「きみはいつまでも変わらないね」

 「そんなことないわ」

 「はじめて会ったときのこと覚えてる?」

 「ええ」

 「海辺を歩いたんだ、一緒に」

 「そうだったね」

 「すごくドキドキした」

 「わたしも」

 妻は若いままだ。出会った頃と変わらない。わたしは少しを話しただけで呼吸が苦しくなってしまった。

 ピーピーピー。

 ベッドに取り付けている酸素モニターが鳴った。

 疲れたり、話しをして身体の酸素飽和度が減ると警告音が鳴る仕組みになっている。妻が心配して、わたしの手に触れる。体温や血圧、脈拍を確認しているのだろう。手を握った。陶器のように白い肌。冷たい肌さわり。

 わたしは電動式ベッドに身体をあずけた。いくら科学技術が進んだとしても、人間の寿命を延ばすことはできない。生身である限り、治療できない病気はある。生身である肉体そのものを改造をすれば、もはや人間とは言えないだろう。技術的には可能なのかもしれない。しかし、そんなに長生きしてどうするんだ?

 気がついたら海辺にいた。耳元で風の音が聞こえる。海の香り。目の前に海の景色が映った。何十年も前の海辺の景色だ。思い出の海。ここはよく妻と歩いた場所だ。海面が波打つように揺れ、太陽の光にきらめいている。遠くに見える船がゆっくりと進んでいく。懐かしい。

 今はもう化学物質に汚染されて、海に人が入れなくなっているから、この映像は過去のものだ。わたしの妻が再現した映像だろう。  

 「おどろいたよ。海の音や風や匂いまでも再現できるんだね」

 「感触フィードバック機能よ」

 「どうして、この景色を」

 「さあ――わからないわ。ただ記憶媒体に残っていたから」

 「ここは、きみと過ごした大切な場所なんだ」

 「知ってるわ。そうプログラムされているから。わたしは、あなたの奥さんの記憶を引き継いでいるのよ」

 「感情も?」

 「感情?」

 妻の思い出を持つ機械のきみと、生きていた妻との違いはなんだ? 

 わたしは言いかけてやめた。そんなことを聞いてもしょうがない。妻が側にいてくれる。それだけで十分だ。わたしには残された時間が少ない。

 「きみと出会えて本当に楽しかった。いっしょに暮らしたことも、苦労して子育てをしたことも、なにもかも新鮮だったよ」

 「わたしも、とても楽しかったわ」

 目を閉じれば思い出す。思い出が、まばゆい光のようだ。できれば、このまま妻の思い出に浸って死にたい。夢を見るように。

 「最後まで、そばにいてくれるかい?」

 「わかったわ」

 わたしは安心感に包まれて、眠りについた。

 

 意識が戻っても、目の前はぼんやりして暗かった。時間を訊くと、まだ日中。部屋の明るさの設定は問題ない。わたしは自分の視覚に問題があることに気がつく。

 「ねえ、もう目が見えなくなったよ。きみの顔が見えなくなった。わたしには、もう残りの時間が少ないみたいだ」

 「とても寂しいわ」

 「悲しまないで欲しい。わたしは生きるのに疲れたよ。きみが側にいてくれて、なによりの慰めになった。役割を十分に果たしてくれた。ありがとう」

 わたしは自分の死が迫っていることを自覚した。息が苦しい。しかし、ずいぶん前から覚悟していたのもあり、あたふたしたり辛い気持ちはなかった。どちらかというと、さっぱりした気分だ。天国でも妻と会えるような気がする。

 彼女の顔をなでる。頬に触れたら濡れているのに気がついた。涙? 泣いている? 

 わたしはおどろいた。

 「きみは、涙を流すのか?」

 「わからない。とても寂しい気持ちになったから」

 わたしは返事ができない。

 「あなたと暮らせて、本当に楽しかった。ずっと、ずっと、あなたのことを覚えている」

 プログラムされた言葉だろうか。

 それともすでに----目の前が光にあふれた。

 

 「気がついた?」

 ぼくは彼女と海辺にいた。

 身体が軽く、自由に動く。走り出したいほどの衝動を感じた。身体に力がみなぎっている。いつぶりだろうか。

 「ここは、天国……?」

 ぼくは思わず、つぶやく。

 彼女は笑う。

 「あなたには悪いと思ったけど、どうしてもあなたと一緒にいたくて、わたしと同じにしてもらったの」

 「それじゃ――ぼくは」

 「生まれ変わったのよ。あなたの希望どおりじゃなかったかもしれない。ごめんなさい」

 少し考えてみた。

 彼女から必要とされていることに気がつかなかった。彼女はただ、ぼくと一緒にいるようにプログラムされているだけだと。

 でも、もしかしたら。

 彼女もまた、ぼくと同じ気持ちなのかも。

 ぼくらがもう人間とは呼べない存在だとしても。

 悪くない。ぜんぜん。

 「ぼくと、ずっと一緒にいてくれる?」

 彼女はうなずく。そして笑う。かつて妻が見せた笑顔で。

 

マラソン大会。沈む気分。

Paper.スケッチ.21

妻ちゃんの体調が芳しくない。

 

正月明けから耳が聞こえにくい突発性難聴と思われる症状があって、ストレス性かもしれないってビタミン剤なんかを処方されたけど改善しない。良くならないからべつの病院に行ったら、メニエール病の可能性もあるからプレドニンの内服に切り替えた。5日で飲み切って、再検査をする。

 

耳が聞こえにくいのは微妙にストレスで、妻ちゃんもやっぱり沈んでいる。

症状が良くならない。

慢性化している。

 

たまたま先日の夜勤で状態が悪化した患者さんがいて、維持液のなかにソルメドロールというステロイド剤を混注して投与した。

 

プレドニン、副腎質ホルモン、ステロイド治療を開始。

ステロイドは万能薬的な側面もあるけど、長期服用では副作用もある。

ナーバスにもなる。

 

今日はマラソン大会があって自分が小学校へ参観した。

終わってからジムに行って筋トレとランとスイミングをして身体を絞る。

自分も職場で嫌な出来事があって、気分的に少し沈んでいる。

考えないようにしているけど、折に触れて思い出して嫌な気持ちがよみがえる。

 

幼稚園に娘を迎えに行ったら、泣いてはなかったけど、嫌なことを言われたと元気がなかった。

嫌なことを言われたら言い返しなと伝えていた。

 

「言い返した?」と聞いたら、

「いった」

「なんて?」

「だまれって」

「やるやん! 黙った?」

「ううん」と首を振った。

 

なかなか上手くいかない。

家に帰ったら物に八つ当たりするので、自分も気分が悪くなって

 

「そんなに嫌だったら先生にその子のことを言いつけとくから」と言うと、

「しなくていい!」と拒否する。

「いまさらどうしようもないことで、グズグズされてもパパも困るんだよ」

 

ついムカムカして言ってしまう。なんだか難しい。

 

夜は気分転換に妻ちゃんが飲み会に行く。子どもたちとスイッチでゲーム大会しようかなと。

妻ちゃんも、娘も少しでも元気になればいいのだけど。

 

 

不安定。

最近、娘が荒れている。

先日は幼稚園に連れて行ったら大泣きだった。

ひさびさに校門前で泣いて自分の身体にしがみついて離れない。

見かねた先生に引き離されて連れて行かれた。

もう年長で春からは小学生なんだが…大丈夫か。

年長児になって、そんなことある子あまり見たことない。

 

幼稚園に行きたがらない。

あまり食欲もない。

小さな子供の感じているストレスのようだ。

 

聞いてみたら些細なことなんだけど、

(給食がまずい。)

(嫌なことを言ってくる子がいる。)

なんだかんだで気持ちがひきづられている。

うちの子は、気分転換や気持ちの切り替えがすごく苦手だ。

 

週末は好きな温泉に連れて行って、

「すっごく楽しかった」と笑っていた。

大きめの複合施設でもゲームしたりおもちゃを買ったりして過ごした。

 

でもどれも効果が長続きしない。

しばらくすると機嫌を損ねて、それがとても長引く。

娘はけっこう手がかかるタイプ。

上の子はほっといても退屈することはなく、自分で自由に遊んでいる。

下の子は誰かがかまっていたり、ずっとなにかをさせてないと嫌になるのだ。

 

嫁さんもぐったり。

最近夫婦で話すのだけど、子供の満足するボーダーがあがってきて、親が連れ出しても楽しませるのには限界がある。小さい頃のように、公園に行ったり、外でご飯を食べたり、小さなことで満足するということが少なくなってきた。

 

どうしたものかな、とプチストレスを感じながら過ごしている。

もっと楽しませてあげたいけれど。

 

NHKスペシャル 「認知症の第一人者が認知症になった」

ネットでもすごく話題になっていましたね。遅れて録画で見ました。

夫婦で一緒に見て、妻も「よかった」と言って涙していました。自分も感銘を受けました。

 

ここまでカメラが入るのもすごいことだし、認知症になっても先生のお人柄に気品とユーモアがあり、ご家族の会話や雰囲気にも引き継がれているとしみじみとしました。

85歳まで診療をしていた偉大な医師。長谷川スケールは医療機関ですごく普及されている。

そんな輝かしい経歴の持ち主でも認知症になるのだから、認知症はだれにでも訪れるのだなと改めて思わされます。

 

自分や妻や家族のだれかが認知症になったら――という想像をしながら視聴していました。

 

認知症になっても、見える世界は変わらない。

日常をていねいに生きる。

人生に大事な姿勢はただそれだけ。

 

長谷川先生は先輩医師に言われたそうです。

きみの研究は、きみが認知症になって完成する。

 

認知症になることは、ある意味、救いなのかもしれない。

正気のまま死を迎える。

自分の大事なひとをみんな亡くして、うらしま太郎みたいな気分で、

頭がはっきりしたまま死ぬのはつらいかもしれない。

すべてを忘れて死ぬように、ひとはプログラムされているのかもしれない。

死ぬまでに忘れてしまうにしても、妻や子どもたちと過ごした楽しかった気分だけ、

なにがあったかわからないけど、楽しかったなという気分を残して

自分も生を終わりたい。

そんなことを考えていました。

 

 

地震とか。

Paper.スケッチ.12

 

17日今日は阪神淡路大震災から25年目。自分は高校生でした。

神戸とはずいぶん離れている自分の住む地域でも揺れました。

めずらしく地震だなと思ったけど、当時はスマホもないし、ニュースを見る習慣もないし、今と比べたら情報の伝達というのはのんびりしていた。

高校に着いてぼーっと過ごしていると、だれかが「神戸がすごいことになってる! 街が燃えてる!」と叫んでた。

そんなことあるはずない。また大袈裟な。と思っただけで気に止めなかった。

家に帰ってテレビをつけると、特撮かと思うような街自体が燃え上がった映像が出て、これが現実とは思えないほど驚愕しました。

 

あれから日本各地が地震の活動期に入ったと言われるぐらい巨大地震が頻発しています。

 

南海トラフの懸念される沖合での「スローステップ」が確認された報道がありました。巨大地震との関連が考えられていて、解析が進められているということ。

 

自分の暮らす地域は南海トラフの激震地域であるし原発も近い。南海トラフ地震が来たら被害は甚大です。被災したときの準備や備蓄は少しはしているけど、1週間以上のものは難しくてできていません。電気や水などのライフラインも最低限。コストをかけすぎても地震が起きたときに使えるかどうかは未知数ですし、地震後の生活もある。家や車はダメになる。あったに越したことはないから貯金が確実かなと。

 

生き残ったとして、復興つまりは生活の立て直しには現金が必要だ。災害後の生活にも目を向ける必要があると。高価な自家発電システムなどを導入したところで、システムそのものが地震でダメになったら意味がない。

 

ふだんから必要なものは最低限で暮らすように意識しています。

 

自分たちが暮らす地域の100キロ園内に原発があります。原発は意識的にはずっと遠くにあるけど、距離で測ったらそうでもない。もし原発がダメになって放射能が漏れたら、自分たちの暮らす地域は終わりです。もう住めないし、一体どこに逃げる? 安全な場所なんかあるのか。逃げていく場所があるかどうか。それもわからない。

 

加えて気になるニュース。

南海トラフとは別に全国の活断層があり、そのうちの最も危険とされているうちのひとつが自分たちの暮らす地域の近くを通っています。つまり最悪、南海トラフが起こって復興している途中にまた震災に見舞われる可能性があるということ。重複した罹災の可能性が十分にある。

 

大きな災害が立て続けに起こったら、日本の経済活動も、自分の生活も困窮する。

でも恐れて過ごしてもどうしようもないし、しっかり準備して今できる日常を丁寧に過ごすしかありません。いつなにが起こってもいいように生きる。備えよ常に。それしかないのだろうな。

食事をつくる。

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新年明けてから、ジムに行けてなかった。今日はひさびさに行く。
昨日の夜、魔が差してポテトチップを一袋と、梅酒ソーダを飲んだので、今日は絶対に運動しなければと気合を入れた。

朝9時にジムに入って、2時間ほどみっちり筋トレとスイムとランをした。
めちゃスッキリ。やっぱ運動はいいわー、と気合が入ったので、昼はサラダだけにした。
意識高い系でいこう。

午後からは創作をバリバリしようと思ったけど、運動したらエネルギー切れで幼稚園の迎えの時間まで寝てしまった。最近運動を終わると、すごくぐったりする。運動をしたら鍛えられるはずなんだけど、睡眠でも取らないと動けなくなるぐらいしんどいときがある。これはやっぱり加齢なのか。それとも運動量が自分に合ってないのか。わからないけど、そのときの体調もあるしな。無理をしないことが大事だ。

嫁さんが帰宅してから、一緒にグラタンをつくる。グラタン食べて、子供たちを習い事に連れて行ったり風呂に入れたりしたら、もう1日が終わり。
週末は自分が焼きそばをつくって、夜は温泉でも行こうかなと話した。
温泉にファミリー向けの食事処もあるし、これはいい。おでんとビールなんか最高ですね。自分は家族サービスで運転するから、妻に楽しんでもらいましょう。

なんてことない日常だけど、小さな楽しみでやっていこう。