思い出のファミコン

 


 

というサイトがあって、読んでいたら懐かしさがこみ上げてくる。

やはり同世代のひとたちによる思い出には、ファミコンにまつわるものにもドラマがある。両親や兄弟、家族とのエピソードにファミコンが綴られていて泣ける。

読み出したら止まらない。昭和52年生まれとしては涙があふれる。

 

 

クリスマス時期になると思い出す。

自分もファミコンが欲しかった。小学3年生の冬。ファミコンは当時の自分にも高価なものであることはわかっていた。おもちゃ屋さんで価格を見ては、無理だなと思うことを繰り返していた。まして、自分は成績もよくないし、親におねだりして買ってもらえるような気配はない。子どもながらに、家はアパートだったし、家は貧乏だと思っていた。頼んではダメだろうなって思っていた。

 

3年生の冬休み前、夕方、自分は留守番をしていた。母が紙袋を持って帰ってきた。当時母は近くのスーパーでパートをしていたはずだ。

はいって感じで母に渡された紙袋

なにこれ? 

開けてみると——ファミコンだ! 

赤と白のコンストラスト。本当に、なんの前触れもなく、これって感じで。超絶びっくり。箱を開ける時に、発泡スチロールのぱりぱりという音。新品の機械の匂い。セロハンで包まれたピカピカのファミリーコンピュータ。嬉しかった。その晩は文字通り抱きしめて寝た。あとにも先にもこんなに嬉しかったことは覚えていない。

 

言い出せなかった欲しいものが、急に来た。

自分のなかで喜びの原体験として残っている。

だから自分もスイッチや新しいソフトが出ると、子どもたちをびっくりさせたくて、内緒で買ってくる。苦労せずに手に入れるのは良し悪しだとは思うけれど、たぶん自分の原体験として、いい思い出として残っているからだと思う。

 

蛇足だけど、うちの両親はその年のクリスマスのときに大喧嘩して、自分は母に連れられて実家に帰った。そのときにファミコンを置いていかねばならなかったのを、両親が離婚するかもしれないことよりもすごく心配していたのを覚えている。

 

幸い離婚せずに2、3日で両親は仲直りして家に戻ったけど、ファミコンのことがずっと心配だったなー。まだ終業式前で、無断で学校を休んだのを先生に体調不良って嘘ついたような記憶もある。笑